2024/01/19 (FRI)
資料紹介:「R22 東急電鉄『こどもの国線』沿線住民会資料」について
共生社会研究センターRA(リサーチ?アシスタント)
立教大学大学院社会学研究科博士課程後期課程 宮澤篤史
共生社会研究センターRAの宮澤篤史です。今回は、センターが所蔵する「R22 東急電鉄『こどもの国線』沿線住民会資料」をご紹介します。
本資料群は、神奈川県横浜市の長津田駅からこどもの国駅をむすぶ鉄道路線「こどもの国線」の沿線で発生していた騒音?振動をめぐって抗議?改善交渉を展開した、沿線住民による運動体「こどもの国線沿線住民会」(以下、住民会)の活動資料?記録です。住民会の活動が盛んだった1990年代の資料が中心を占め、活動の記録を年次でまとめたファイルやノート、関連記事のスクラップや沿線写真?地図などの多様な資料が含まれています。
立教大学大学院社会学研究科博士課程後期課程 宮澤篤史
共生社会研究センターRAの宮澤篤史です。今回は、センターが所蔵する「R22 東急電鉄『こどもの国線』沿線住民会資料」をご紹介します。
本資料群は、神奈川県横浜市の長津田駅からこどもの国駅をむすぶ鉄道路線「こどもの国線」の沿線で発生していた騒音?振動をめぐって抗議?改善交渉を展開した、沿線住民による運動体「こどもの国線沿線住民会」(以下、住民会)の活動資料?記録です。住民会の活動が盛んだった1990年代の資料が中心を占め、活動の記録を年次でまとめたファイルやノート、関連記事のスクラップや沿線写真?地図などの多様な資料が含まれています。
こどもの国線通勤線化をめぐる運動
写真1 R22「東急電鉄「こどもの国線」沿線住民会資料」資料棚
では、この資料群を作り上げた住民会と、住民会の活動の背景にあった「こどもの国線」通勤線化について、簡単に説明してみたいと思います。
こどもの国線は、旧日本軍の弾薬庫跡地に建設されたレジャー施設「こどもの国」へのアクセス路線として1967年に開業しました。長津田駅からこどもの国駅までの3.4km区間を結んでいます。1980年代半ばからの沿線住宅地化とそれに伴う沿線住民人口の増加によって通勤線化の需要が高まり、1988年に横浜市から同路線の通勤線化が発表されました。
これに反対し、声を上げたのが、同じ沿線に住む住民たちでした。特に長津田付近の急カーブで発生する騒音?振動はひどく、通勤線化に伴って運行本数が増加すれば沿線の住環境が損なわれると危惧した一部沿線住民が1990年12月に住民会を発足。横浜市と事業者(横浜高速鉄道、東急電鉄)に対して抗議?改善交渉を開始しました。独自に騒音?振動データを測定することで実態把握し、交渉材料に活用するほか、非会員にも会報を配布したり横浜市?事業者側との話し合いに出席するよう呼び掛けたりなど、すべての沿線住民が通勤線化をめぐる議論に関わることができるようにしながら、住民会の運動は展開していきます。2000年3月に通勤線化はなされるものの、住民会が要望するほぼすべての対策が講じられることになりました。通勤線化以降も、騒音や振動の改善のため、住民会は交渉を続けていきました。
こどもの国線は、旧日本軍の弾薬庫跡地に建設されたレジャー施設「こどもの国」へのアクセス路線として1967年に開業しました。長津田駅からこどもの国駅までの3.4km区間を結んでいます。1980年代半ばからの沿線住宅地化とそれに伴う沿線住民人口の増加によって通勤線化の需要が高まり、1988年に横浜市から同路線の通勤線化が発表されました。
これに反対し、声を上げたのが、同じ沿線に住む住民たちでした。特に長津田付近の急カーブで発生する騒音?振動はひどく、通勤線化に伴って運行本数が増加すれば沿線の住環境が損なわれると危惧した一部沿線住民が1990年12月に住民会を発足。横浜市と事業者(横浜高速鉄道、東急電鉄)に対して抗議?改善交渉を開始しました。独自に騒音?振動データを測定することで実態把握し、交渉材料に活用するほか、非会員にも会報を配布したり横浜市?事業者側との話し合いに出席するよう呼び掛けたりなど、すべての沿線住民が通勤線化をめぐる議論に関わることができるようにしながら、住民会の運動は展開していきます。2000年3月に通勤線化はなされるものの、住民会が要望するほぼすべての対策が講じられることになりました。通勤線化以降も、騒音や振動の改善のため、住民会は交渉を続けていきました。
資料の整理と方法
以上のような住民会の活動を記録した資料群が、東急電鉄「こどもの国線」沿線住民会資料となります。本資料群は、住民会代表の方がご自宅で保存されていたもので、2022年7月に受贈しました。資料の状態は良好で、ほとんどの資料がファイリングされており、運動の記録をていねいに残そうとしていたことが伝わってきます。
整理の手順としてはまず、寄贈時点でのボックス、ファイル単位でおおまかな目録を作成し、その後、より詳細なリストに落とし込みました。そのリストをもとに、資料の内容や形態に応じて、次の6つのシリーズに整理しました。
整理の手順としてはまず、寄贈時点でのボックス、ファイル単位でおおまかな目録を作成し、その後、より詳細なリストに落とし込みました。そのリストをもとに、資料の内容や形態に応じて、次の6つのシリーズに整理しました。
シリーズ1:「総会資料?会報?会員通信」
写真2 会報『ひびき』と会員通信(ファイルID 1003)
総会議案書、沿線住民向けに発行された会報『ひびき』(版元含む)、および会員向けの会員通信(版元含む)が含まれています。これらの資料から、住民会の活動の動向をおおまかに把握することができます。
シリーズ2:「住民会の活動記録」
住民会による日々の活動を把握することができる資料群で、「ファイル」「ノート」「その他」のサブシリーズから構成されています。サブシリーズ「ファイル」には、住民会の日々の活動における資料を時系列にまとめたファイルのほか、通勤線化工事の工程表、横浜市?事業者への要望書ファイルなどに加え、住民会の活動を記録したCD-ROMが含まれています。サブシリーズ「ノート」は、住民会代表が日々の活動でとっていた記録用ノートで構成されています。原則、サブシリーズ内で時系列に配列しています。
シリーズ3:「住民会による騒音?振動測定関連」
写真3 地点別騒音データ(ファイルID 3003)
住民会が騒音?振動の現状を把握し、抗議?改善交渉に利用するために測定した騒音?振動測定データと、関連資料から構成されています。原配列のまま配列しました。
シリーズ4:「行政?鉄道会社による騒音?振動?環境調査および資料」
横浜市や横浜高速鉄道などが発行した騒音?振動?環境調査の報告書などが含まれています。発行年順に配列しました。
シリーズ5:「記事スクラップ?コピー」
住民会の活動やこどもの国線通勤線化に関する新聞等記事のスクラップのほか、鉄道事業関連の記事?文献コピー、宅地広告などが含まれています。発行年順に配列しました。
シリーズ6:「写真?地図」
住民会の活動に関する視覚資料で、サブシリーズ「写真」「地図」に分けています。サブシリーズ「写真」は、こどもの国線沿線の騒音?振動対策工事の写真や、沿線の路線バス停留所の時刻表写真などが含まれています。並びは原配列を尊重しています。
通勤線化をめぐる運動の構図
住民会の資料に目を通しながら興味深いと感じたのは、単純な対立構造をもってこの運動をめぐる構図を把握することができないという点にあります。通勤線化をめぐるアクターには、騒音?振動に頭を悩ませ、通勤線化に反対する住民会と、それを推し進めたい横浜市?事業者、さらに、通勤線化による利便性の向上を望む他の住民たちの姿がありました。しかし、「住民 vs. 市?事業者」、「住民 vs. 住民」という二重の対立構造からは、住民会の運動のあり方を十分に理解することはできません。なぜならば、通勤線化を計画する市?事業者、そしてそれを望む住民たちは、騒音?振動の問題を放置したままに、つまり一部の住民をないがしろにしたままに通勤線化がなされることをよしと思っていなかったからです。
各アクターの思惑が交差するなかで、住民会の活動方針は通勤線化への「反対」から、騒音?振動対策を講じたうえでの条件付き「賛成」(容認)へとシフトしていきます。会報『ひびき』をみてみると、「私どもが一番虞[おそ]れる『通勤線化』の実現化を絶対に許さぬよう...」(創刊号、1992年9月20日発行)や、「通勤線化は絶対反対!」(第8号、1994年11月13日発行)といった記述がみられましたが、第20号(1996年1月14日発行)からは、「振動?騒音の”激化には”絶対反対!」(強調筆者)の文言が載るようになりました。さらに、第21号(1996年1月30日発行)には、「[住民会が実施してきた実地調査を踏まえると]『通勤線化』...という要求と、...私たちの『振動?騒音をなくす』、という要求とは決して対立するものではなく、むしろ、...双方を同時に実現できる方法があるということを確信しました」という記述がなされています。
また、横浜市?事業者側も、住民側の意見を取り入れ、可能な限り対策を講じたうえで通勤線化を進めていくという姿勢を持ち続けました。つまり、住民会の運動は、通勤線化をめぐる住民と市?事業者、ないし通勤線化に賛成/反対する住民同士という単純な対立構造に回収されない展開をみせていったのです。
こうした住民会の運動の展開からは、社会運動のあり方、さらには「公共性」のあり方を考えるうえで目を引くものがあるのではないでしょうか。
「R22 東急電鉄『こどもの国線』沿線住民会資料」に少しでも興味?関心を持たれた方は、ぜひ共生社会研究センターまでご連絡ください。
各アクターの思惑が交差するなかで、住民会の活動方針は通勤線化への「反対」から、騒音?振動対策を講じたうえでの条件付き「賛成」(容認)へとシフトしていきます。会報『ひびき』をみてみると、「私どもが一番虞[おそ]れる『通勤線化』の実現化を絶対に許さぬよう...」(創刊号、1992年9月20日発行)や、「通勤線化は絶対反対!」(第8号、1994年11月13日発行)といった記述がみられましたが、第20号(1996年1月14日発行)からは、「振動?騒音の”激化には”絶対反対!」(強調筆者)の文言が載るようになりました。さらに、第21号(1996年1月30日発行)には、「[住民会が実施してきた実地調査を踏まえると]『通勤線化』...という要求と、...私たちの『振動?騒音をなくす』、という要求とは決して対立するものではなく、むしろ、...双方を同時に実現できる方法があるということを確信しました」という記述がなされています。
また、横浜市?事業者側も、住民側の意見を取り入れ、可能な限り対策を講じたうえで通勤線化を進めていくという姿勢を持ち続けました。つまり、住民会の運動は、通勤線化をめぐる住民と市?事業者、ないし通勤線化に賛成/反対する住民同士という単純な対立構造に回収されない展開をみせていったのです。
こうした住民会の運動の展開からは、社会運動のあり方、さらには「公共性」のあり方を考えるうえで目を引くものがあるのではないでしょうか。
「R22 東急電鉄『こどもの国線』沿線住民会資料」に少しでも興味?関心を持たれた方は、ぜひ共生社会研究センターまでご連絡ください。
参考資料
こどもの国線沿線住民会,2014,「こどもの国線沿線住民会運動の記録(対外版増補)」,(2024年1月5日取得,https://www.asahi-net.or.jp/~bh7y-isd/img/zenkiroku2014.pdf).
お問い合わせ
立教大学共生社会研究センター
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